新聞報導或是媒體、檢調單位等等,常常會出現的一句話就是「羅生門」,而「羅生門」是什麼意思呢?細心的網、格友們,只要注意到本文的分類是﹝藏閣賞析﹞,就可以知道《羅生門》是一本書,或者說是一部影片,沒錯《羅生門》是日本短篇小說巨擘,芥川龍之介的作品。1915年11月曾發表於《帝國文學》雜誌,故事是引用古典民間文學《今昔物語》中「羅城門登上層見死人盜人語第十八」的部分情節,加上作者的想像完成的,而1950年黑澤明所拍攝,並贏得1951年威尼斯電影節金獅獎的《羅生門》電影,是根據芥川龍之介的《羅生門》及另外一部小說《竹林中》所改編的,將其二劇情和主題融合為一部電影。
按:《竹林中》取材於《今昔物語集》卷二十九第二十三話「具妻行丹波國男於大江山被縛語」裡的說話內容,而《羅生門》取材於《今昔物語集》「羅城門登上層見死人盜人語第十八」的部分情節。
「羅生門」其實是華語地區流行而被廣為使用的慣用語,形容各說各話,真相不明的情況,起源於芥川龍之介小說《竹林中》中的情節,但因電影《羅生門》之名,反而積非成是了,事實上「形容各說各話,真相不明的情況」是在《竹林中》中的情節,所以在日語中,會以小說原名「藪の中」(竹林中)來表達而非「羅生門」。(形成原因如本文第二段所述)
會造成這樣的的誤解與誤用,始作俑者當然是黑澤明大導演囉,不過也沒那麼嚴重,大家只要知道原委即可,反正都用這麼久,也不必去改正,重點還是《竹林中》中的情節,所要表達的義蘊是什麼,有關於這一點,至今有數百篇以上針對《竹林中》真相作探討的論文,但是目前沒有一個結論,所以說才會有人開始借用小說名作為形容各說各話真相不明的情況;華人地區因為受到黑澤明電影的影響,習慣稱呼這種情形為「羅生門」。
我們先來談談真正的《羅生門》情節吧,至於《竹林中》中的情節,放在明天的下集再來討論,大意如下:
平安時代後期有一位被主人解僱的賤民,傍晚在「羅生門」城樓,考慮是否要偷竊維生或是充滿道德地餓死。他看見一個老太婆正在拔取城樓上一具無名屍的長髮,準備編織成假髮變賣換錢。賤民便出面抓住這個老太婆,責問她褻瀆屍體的行為。老太婆辯稱這個死人生前把蛇肉假裝成魚肉騙人維生,並認為「自己也是為了維生才拔掉死人的頭髮」。這位饑腸轆轆的賤民聽到這些話,心中一念,「大家都想求生存不是嗎?」。
轉眼間變成強盜,他打昏了老太婆,剝去她身上可以變賣的衣服,趁著天黑逃離現場,整個故事以「羅生門」的特殊場景,描寫充滿自私的人性,同時反映出人性的醜惡的一面。以上,就是簡略敘述《羅生門》的情節,可以很明顯的看出,故事的內容要表達的,跟「各說各話,真相不明」完全搭不上關係,這也是筆者第一次閱讀後的障礙,不過後來真的搞懂了,以下是原文概略:
平安時代。飢饉や辻風(竜巻)などの天変地異が打ち続き、都は衰微していた。そんなある時、荒廃した羅生門の下で若い下人が途方にくれていた。下人は数日前、仕えていた主人から解雇された。生活の糧を得る術も無い彼は、いっそこのまま盗賊になろうかと思いつめるが、どうしても「勇気」が出ない。そんな折、羅生門の2階に人の気配を感じた彼は、興味を覚えて上へ昇ってみた。
楼閣の上には身寄りの無い遺体がいくつも捨てられていたが、その中に灯りが灯っている。老婆が松明を灯しながら、若い女の遺体から髪を引き抜いているのである。老婆の行為に激しい怒りを燃やした下人は刀を抜き、老婆に踊りかかった。老婆は、抜いた髪で鬘を作って売ろうとしていた、と自身の行いを説明する。それは自分が生きるための仕方の無い行いだ。この女にしたところで、生前に蛇の干物を干魚だと偽って売り歩いていた。それは、生きるために仕方が無く行った悪だ。だから自分が髪を抜いたとて、この女は許すであろうと言う。
髪を抜く老婆に正義の心から怒りを燃やしていた下人だったが、老婆の言葉を聞いて、勇気が湧き出す。そして老婆を組み伏せて着物をはぎ取るや「己(おのれ)もそうしなければ、餓死をする体なのだ。」と言い残し、漆黒の闇の中へ消えていった。下人の行方は誰も知らない。
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